いま僕らは、社会や未来の自分から選択を迫られている。
これから先、どんな人間でいたいのか。そのためにどんなことを仕事にするのか。
さまざまな選択肢がある現代では、1回の選択で正解を選ぶことは簡単じゃないはずだ。
だからこそ多くの人が「正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にしよう」と言う。
いくら考えても未来のことは分からない。自分も、社会も、この先どう変わっていくかなんて分からない。
しかし、ただ立ち止まって悩んでいても、なにも変わらないのもたしか。
目の前の道を一歩ずつ歩んだ結果、自分らしい仕事を職業にした友達に、まずは話を聞きに行こうじゃないか。
憧れのあの人が、どんな生き方をしていて、今、何を考えているのか。どんな未来を想像しているのか。
少しでもその考え方に迫ってみよう。あの人の今まで知らなかった一面を覗いてみよう。
表面上のモノだけをマネするのではなく、考え方に学び、得たもので、なんだかあの人にちょっとでも近づける気がするから。
vol.2 松㟢翔平
俳優業を軸に、ブランドのモデルや雑誌の連載、アーティストのMVへの出演や、得意の料理でお店とコラボイベントを開催するなど、マルチに活躍する松㟢翔平(マツザキ ショウヘイ)さん。
好きなことや、自分のやりたいことを仕事にしている彼の生き方に、ずっと “憧れ” を抱きつづけてきた。
彼が何を思い、どんなことを大切にしているのか、ずっと聞いてみたかった。
でも、SNS上での彼のライフスタイルにはなんだか壁があるような気もして、勝手に遠い存在と位置づけてきた気がする。
今日は高円寺にある『小杉湯となり』を舞台にして、彼の経歴を皮切りにその素顔を覗いていきたい。
Instagram:@matuzakishohei |
俳優業との出会い。台湾滞在が現実となるまで
翔平さんは、多摩美術大学という美大の出身。専門分野を学ぶ美大を選んだのは、どうしてなんだろう。
「僕、もともとは映画監督になりたかったんです。高校も芸術系の出身で。日本で唯一の公立高校で映像を学べる学校で、試験的に作られた学科でした。
親の影響で幼少期から絵や映画は好きだったものの、選んだ理由はたいそうなものではなく、シンプルに一般教科が苦手だったんですよね。
親には高校へ進学せず就職すると話したら、それだけはさすがに困ると。高校だけは出なさいということで、学校を探してくれて。
『あんた、映画が好きならここだったら半分は映像の勉強だし、数学の時間が少ないよ』って。それで進学しました。
数Ⅱまでしかやらなくて良かったから行ったという、消極的な選択でしたね」
消極的な選択といえど、専門系の高校に進学するというのはなかなか珍しいことだ。
映画監督を志望し、それから俳優という道に変わっていったきっかけはいったい?
「美大に入ってからは、自分の映画作品を3本ほど撮りました。
基本は撮る側だったんですけど、うちの大学は年がら年中誰かしらが作品を撮っているので、先輩に呼ばれて現場に駆り出されることも多かったんです。
撮影部、録音部、制作部とか、いろんな部署で呼んでいただきました。そうなると、役者として呼ばれることもときどきあって。
演じることがすごく楽しかったんですよね。
それで、3年生になると例えば録音部の人はずっと録音しかしないとか、撮影部の人は撮影しかしないってなってくるんです。
自分はというと、俳優部に山本圭祐(ヤマモト ケイスケ)くんという先輩がいて、彼に憧れていました。
それでぬるっと自分も3年生頃から、『僕、俳優なんで。役者をやるんで、それでしか呼ばないでください。』と生意気を言うようになって」
基礎的な経験をしたのちに、憧れの人の影響で俳優業へ惹かれていったということなんだ。
それじゃ、コテコテな就職活動はしていないということなんだろうか。
「美大って就活ムードに全然ならなくて、就活する人はそれこそひっそりとやってるんです。
役者の友達のなかには、どこかに就職するよりもこのまま舞台一本でやっていこうという人もいて。
僕は映画監督志望のコミュニティにいたので、友達の多くは現場にアシスタントで行きながら、自主作品を撮り続けようと考えている人が多かったように思います。
だから何月何日から何月何日までとか、この月から就活が始まるとか、そんなものは一切ない。みんな、それぞれ適当にやってました。
僕自身はというと、正直就職が決まった友達を見てこのままではやばいなと。就活なんて一切考えてなかったけど、そういえばどうするんだろうって。
そのとき大学では一応役者まがいなことをやっていたので、それで就活っぽいことをしなきゃと思い、俳優事務所を探し始めました」
翔平さんのような人でも、僕らと変わらない悩み、漠然とした不安感があったのか…。それから、俳優事務所に所属することに?
「コンポジットという自分を売り込むためのプロフィールを作り各事務所に送る準備をしていた折、嶺豪一(ミネ ゴウイチ)さんという方と出会いました。
彼は大学の先輩ではあるんですけど、代は被ってないんです。ただ、うちの大学って卒業したあとも縦の繋がりが強くて。
近所だったこともあり、週3~4回は一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだり、自分の話を聞いてもらっていました。
普段からお世話になっていたんですけど、たまたまその日も豪一さん家でご飯を食べていたとき、森岡龍(モリオカ リュウ)さんという役者の先輩が遊びに来たんです。
龍さんは僕が今所属している事務所の社長なんですけど、卒業生のなかでも指折りのレジェンドだったので、当然のように知っていました。
『初めまして。今、僕こういう状況でこんなことをしてるんです。』とお話したら、『事務所の机にプロフィールを置いておくよ。』と言ってくれて。
それで声をかけていただきお世話になることに。それがちょうど、大学4年生の頭頃でした」
俳優の道に進むことを決め、ターニングポイントと言うべき先輩方と出会った翔平さん。事務所にも所属し、いよいよ船出を迎えたかのように思える。
現在は台湾に関係したお仕事のイメージが強いけど、その過程には何があったんだろう。台湾に住もうと考えたきっかけが気になる。
「当時、オーディションのキャンセルだけは出したくなくて東京から出ないようにしていたんですけど、ずっと海外に行きたい気持ちはあって。
大学時代もなんだかんだで撮影が忙しかったりお金もなかったりで、結局そういうことってできていなかったんですよね。
そのあと事務所との契約が解消されフリーになるんですけど、そしたら、なんでもできるじゃん! という気持ちになって。
この先どうしようなんて考えている矢先に、ある飲み会で台湾から遊びに来た女の子と仲良くなったんです。
そしたら初対面にもかかわらず、『私が住んでいるシェアハウスが今度1部屋空くんだけど、どうせなら住んじゃえば?』なんて話に。
勢いで僕も『それ良いね!』って、それこそ、ふたつ返事で決めちゃったんですよね。
僕はそのとき台湾になんの知識もなく、物価が安くて親日らしいぞと、薄っぺらい印象しか持っていませんでした。
でもどうせバイトするのであれば、同じコンビニのレジでも海外でしたほうがきっと楽しい。それで、移住計画をスタートして。
2ヶ月バイトして、とりあえずこれだけあれば数ヶ月は大丈夫というお金だけは貯めて、あとは勢いに任せました。
言葉を一切勉強せずに行ったんですけど、いけるだろって、謎の自信を持って行っちゃいましたね。
周りの助けのおかげもあって、結果的にかなり不自由なく生活はできたんですけど」
すごいな…。どうせなら海外でっていう発想と行動力に圧倒される。
現地でも多くのコミュニティに属していたイメージがあるけど、どうやって友達を作っていったのだろうか。
「とりあえずこれだけは決めていたことがあって、僕は台湾に行くにあたり、日本人街に落ち着いちゃうのはやめようと決めていました。
現地で友達を作るしかないという気持ちが強くあったんです。それに、その気持ちを応援するような出来事が出国前にあって。
ちょうど日本を離れる数日前に開かれた僕の壮行会で、たまたま来ていた台湾のモデルの子と仲良くなりました。
それで、その子が後日現地でも街案内をしてくれたんです。
他にも、台湾に何度か訪れている友達が『俺の友達が台湾に行くからよろしく』って現地の知り合いに伝えてくれたりして、それでどんどんと輪が広がっていきましたね。
周りの助けが支えになりました。本当、僕は運が良いんです」
他人を知り、自らを知る。見つめることで見えてきたもの。
偶然の出会いがここまで重なることってあるんだな。翔平さんの周りには個性豊かというか、多岐にわたるジャンルの方々がいるイメージがある。
「そうですね。映画オタクだったり、音楽オタクだったり、本オタクだったり。みんな真剣に自分が好きなものが好きだし、話していて面白いです。
彼らの近くにいて話を聞くことが多いので、例えば音楽であればこういう人がいるんだって知ったり、ある物事の背景を彼なりの目線で知ることができたり。
映画も、今これが面白いから観に行った方がいいぞってことで連れてかれたり。自分の視野が広がるので、嬉しいんですけどね」
翔平さんの今までを聞いていると、出身の高校や大学の特性もあって、スタイルのある友人が周りには多かったはずだ。
人生の歩みを進めていくうえでは、周囲から受ける影響をどう咀嚼し、どうやって自分のスタイルに落とし込んできたんだろうか。
「僕の先輩も後輩も、同学年も、友達には一家言あるやつが多くて。とにもかくにも、こだわりの強い人が多い。
『俺はこう思う』って人が多いから、逆に言うと、ただなんとなくこうでって人は少なくて。
すごいゆるいところと、1点、ものすごくこだわりのあるところが同居しているように感じますね。
でもそうやってそれぞれの意見を聞くことで、自分の輪郭が浮かび上がってくるんです。
その意見には同意できないな、とか、その意見には肯定だな、とか。
そうすると “自分はこう思う” のラインが見えてきて。他人を知ることで、自らのスタンスがどこにあるかを理解してきました」
意見を交わすことで、内なる自分を理解してきた翔平さん。となると、1つ聞きたいことがある。
それはシンプルで、翔平さん自身はこれまでの人生をどう捉えているのかということ。
さまざまな選択に対し、数多くの意見を聞いていたり、生き方を見てきている分、『あの選択は正解だった』とか『もっとこうしていれば良かった』という感情が芽生えないんだろうか。
「今、この場所にいる自分をまったく否定しないです。自分が選択してきたことに、間違ったも、正しかったもないと思ってます。
ほとんどなにも後悔してないですね。できるだけ後悔はしたくないんで。今はこうでしかないからなって。
後悔やコンプレックスがあったとしても、解消する必要なんかないと僕は思ってます。
僕が行ってきたこと、今持っているものに対しては、それもあっていいじゃんみたいなスタンスで。
そのときの自分でしかない。だって、そのとき100%正しいと思って選択しているんだから、振り返っても変えようがないので」
そうか、そういう考え方もあるんだなと納得したと同時に、彼の “選択” に対する自信を感じた。
内省を繰り返し、自らをよく理解しているからこそできる発言なのかもしれない。
続く言葉に、選択という行為に対する “責任” と、その意志の強さが見て取れる。
「SNSの投稿1つとっても、誰かの指示でやっていることは基本ないです。
自分の選択でやっていることが伝わればいいという思いもあるし、そのほうがちゃんと後悔できるから。
筋の通ってないことはやりたくないという気持ちがありますね」
SNSやテレビ番組など、多くの媒体を通して見る “表” の翔平さんには、これまで順風満帆なイメージが強くあった。
翔平さんのことを、趣味や出会い、タイミングが高じて階段を登っていった、ある種ジャパニーズドリームのように捉えている人がいるかもしれない。
だけど今、こうして話を聞くと分かる。
これまでの彼の活躍の理由には、他人の意見をフラットに聞き入れるしなりのある考え方、そして自らがした選択に責任を持つ、それ相応の覚悟があったからなのではないかと。
彼は自分のことを “運が良い” と言っているけど、相手を知ることで己を知り、掴み取った選択の結果は、得てして必然だったように感じる。
だって、意志を他人に委ねるのなんて簡単だ。彼だって、もっと流されるように生きていくこともできたかもしれない。
そのなかでも1人ひとりの考え方から学び、自らのスタンスを作り上げていった。
きっと、あらゆることに真剣に向き合い、後悔しないほどに考えてきたんだろう。
その表出した一部分のみを、僕らはSNSやテレビ番組で目の当たりにしてきたんだと思う。
でも、そんな彼にだって、不安なことはないんだろうか。
「俳優を辞めてなければいいな、っていうのはずっとあります。俳優を辞めないで続けるためにはっていうことも、ずっと考えてます。
理想像は最近考えているんですけど、なかなか思い浮かばなくて。言語化できない、フワッとしたなにかがあります。
言語化できたほうが良いとは思うんですけどね。
毎日淡々と仕事や遊びを繰り返していくときに、自分がここに向かっているという目標がないと、すべて無意味だなと極論思っていて。
どうせいつか人は死を迎えるので、基本的にやってることに意味なんてないと僕自身思うんですけど、意味がないからこそ、ロマンみたいに意味をつけてあげないとダメで。
そのロマンがぱっとは言えないんですけど、なんか、あるんですよね…。
ここがちゃんとくっきり見えたら、その一歩一歩がここに繋がっているって確信が頭のなかにあれば、毎回 “そのために” というやりがいが生まれてくるんだと思います。
なかなかここがまだくっきりしてなくて、仕事面だけじゃなく、今はまだ全体的にぼやぼやしてるかなって。
それが見えてたら良い部分もあるかもしれないですけど、逆に今は、見えてきたときのために、全部が全部、全力でぶつかるしかないと思ってます」
なるほど。さまざまな仕事を経験した今も、俳優の仕事が “一番” 楽しそうだ。
「もちろん、俳優の仕事が一番楽しいです。昔は役者だけで食べたいなって思いがすごくあったんで、バイトしつつ役者をすることすら負い目を感じていて。
今はほぐれてきて、いろんなことをやってるんですけどね。とはいえやっぱり俳優の仕事がまず軸にあって、てところです。
そもそものモチベーションはすべて役者のために、演技のためになるんじゃないかというところから始まっていて、それが意外と面白くて熱中しちゃうんですけど。
なので役者が一番楽しいっていうか、この先も死ぬまで、全力でやりたいことですね」
その人をつくりあげるもの。
相手を知ることで、自分を知る。すべてに責任を持って行動する、後悔しないその生き方。
翔平さんが語ってくれた言葉たちが、迷いだらけに生きるこの胸に響いてくる。
僕らはSNSやテレビ番組を通してその人のことを知った気になっているけど、自分たちが見ていたものは想像以上にごくわずかで。
その人のこと、正直ほとんど知らなかったんだなと思う。
対面のコミュニケーションが制限される時代だからこそ、その人の内側をもっと見て、じっくりと知る必要があるってことも、彼は伝えてくれたような気がした。
最後に聞いたのは、これからの楽しみについて。
「自分は今27歳と、世間一般ではある程度大人といえる年齢になってきました。
この歳になって、最近、友達と仕事で合流できることが増えてきたんですよね。
この前も高校時代に仲の良かったやつが仕事で呼んでくれて、2人で撮影をしたのがすごく楽しくて。
そういう機会が、これから増えていくのが楽しみかな」
意志は強く、だけどその歩みは軽快に。
やっぱり彼は、僕らの憧れだと改めて感じさせてくれた。今後もマルチに活躍していくその後ろ姿を、遅れないように追い続けていきたい。
翔平さん、このたびはありがとうございました!
※撮影時のみマスクを外しています。また、アルコール消毒、三密の回避、検温等、新型コロナウイルス感染症対策を徹底したうえで取材を実施しています。
取材風景動画
今回の記事の取材の様子を動画にまとめてみたよ。
ぜひ、取材中のカッコいい翔平さんを見てみてね。
僕らの友達について
■松㟢翔平(マツザキ ショウヘイ)
俳優業を軸として、ブランドのモデルや雑誌の連載、アーティストのMVへの出演や、得意の料理でお店とコラボイベントを開催するなど、マルチに活躍中の27歳。 Instagram:@matuzakishohei |
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■小杉湯となり
“銭湯のあるくらし” をコンセプトに、老舗銭湯『小杉湯』の隣に位置するセカンドハウス。1階は食堂、2階と3階は書斎や個室があり、地域コミュニティーの場として今年3月にオープンした。フルーツサンドの販売を行う『sao cafe』や軒下マルシェなど、週替わりでイベントも行っている。現在は会員制となっているため、興味のある方はぜひ内見してみてね。 Instagram:@kosugiyu_tonari ※営業時間や定休日などは上記Instagramの参照をお願いします。 |
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